Quantcast
Channel: 風のなかで・・・山里・海辺・清流

北海道・「自由旅」「車中泊旅」 サイコオ!!

$
0
0
***北海道・自由旅 車中泊旅***
7月20日(自宅出発)~8月24日(自宅帰着)
7月は 諸事情があり ホテル宿泊
8月は 全車中泊による完全な「自由旅」「一人旅」でした
「道の駅」や「キャンプ場」での車中泊は 様々な出会いと交流がありました
私が接した方々は 車を自分の好みや目的に合わせて 自分で改造し 車中泊旅です
私は 旧型ジムニーシェラ 「ミノムシ号」での旅です
1955年前後 何にもない時代 貧乏時代育ちの 年金ロージンは 完全に少年時代に復帰!!
これといった「旅計画」は持たず 「自由旅」です
自分の「力」(=体力・$・気力)を冷徹に判断し その中で 「自由」に旅をする 
これがサイコオです!!
老若男女関係ナク 「自由」こそ 人間生活を豊かなものにすると 思っています


(7月20日・瀬戸大橋→中国道→舞鶴・フエリーで小樽へ)


(7月20日 23:30舞鶴出航→21日 17:06 北海道が視界に入ってきました)


(7月21日 18:50・日本海落日→小樽港到着 21:30)


(7月23日・トラピスト修道院 )


(7月23日・函館山より函館夜景)


(7月29日・牧草ロール 北海道ではの「大規模農業」を 初めて実感)

<7月29日・釧路湿原・完全野生の「丹頂鶴」を 初めて見ました>





(8月2日 稚内・北防波堤ドーム・戦前の「北の玄関」=大日本帝国の威信をかけた・・・)

<8月5日 オホーツク海・冷たく厳しい 北の「海空気」が 沁みてきました>





(8月8日・ウトロ港の夏)

<8月8日・露天風呂「熊の湯」・地域の有志により整備管理されています>






<8月9日 「野付半島」・沿岸流により形成された「砂嘴」です・先端部分が鳥の「くちばし」のような地形となっています・地盤沈下により海水が侵入し ミズナラなどの立ち枯れが発生=「ナラワラ」>




<8月10日・国定公園 特別地区 霧多布湿原>




<8月10日・釧路湿原 「温根内木道」・湿原ですので「ヒグマ」は侵入デキマセン・安心安全 遊歩道です>




<8月11日・摩周湖 裏摩周展望台から撮影・観光客が少ない場所です>




<8月12日「六花の森」・日高山脈や自然の草花などを多く描いた「坂本直行」(=チョツコゥさん)の作品を展示してあります・坂本龍馬の子孫です・展示場は クロアチアの古民家を移築したものです>

(入園チケット発売事務所)





<8月15日・このキャンプ場で車中泊>






<8月18日・小樽運河 ヨロヨロ歩き>

(小樽駅・昭和初期に建設された駅舎です)





<8月19日・小樽フエリー岸壁の早朝>




<8月19日・神威岬(※駐車場・侵入道路 午後6時に閉鎖です)>





「故郷」と過ぎ去った時間・四国の屋根は濃いガス・・・これも良し

$
0
0
***「故郷」 過ぎ去った時間***
ある東京在住の女性が12歳まで過ごした北海道での「同窓会写真と記事」に感動した
人間の内なる成長は 幼き頃 故郷での「空気と時間」が 大きな要素となっている様に思います!!
楽しかったこも 悲しかったことも すべて 人生の温もりとなります

 やわらかに 柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けどごとく 石川啄木

1955年前後 私の少年時代 「鏡川」の夏は こころの底に 焼き付いています
(当時の田舎は 学校プールは無く 家庭ではTVも無く 友人との遊びや「家族」の温もりがすべて)
年老いた 今でも 少年のころと 同じ鏡川に立ち カワセミやミサゴなどに レンズを向けています
 
私の人生は 総じて低級な自分を認識し 人の営みを 下から見上げて生きてきました 
決して上から 見ることはアリマセンでした 
この様な生き方は 子供のころ 夏の鏡川で 自分の「水泳力」を認識し 年長者の「水泳」を 自分の目のみで見習い 「水泳力」を身に着けたことが原点であるように思います
 

(鏡川・子供のころと 同じ場所で 年老いた今も 遊んでいます)
 <カワセミ>








<ミサゴ・12月初旬 落ちアユ ハンチング>




***四国の屋根は 濃いガスで視界不良・・・これも良し(9月16~17日)***
9月16日・昼過ぎに「よさこい峠」到着 気持ち良い「快晴」でした
4時過ぎ 神の山「子持権現」にレンズを向けているころから 天気が急変 濃いガスで視界不良となりました
9月17日・早朝から濃いガスで 昨夕と同じ 視界不良
昨夕も今朝も 四国屋根は 冷たく 濃いガスで 何も 見えませんが・・・
若いバイク乗りは この 悪条件のなかで 自然と闘い 自分の世界を 楽しんでいました
この様な青年の存在に感動しました 明日の日本は アンシンです!!

 
(撮影:16日・本川最奥の中心地・赤いつり橋の向こうの家屋は「岡林商店」民宿や食品など)


(撮影:16日・「よさこい峠」近くから見下ろす「長沢谷筋」)


(撮影:2016年11月14日・「長沢谷筋」を見守ってきた「老木」・私が「サキ」と想っていましたが数年前に 姿が消えました)


(撮影:16日・神の山「子持権現」)


(撮影:2019年4月27日・神の山「子持権現」)


(16日「晩メシ」・いつも同じ コンビニ調達・トシヨリは これでも満足)


(17日「朝メシ」・今朝も濃いガスのなかで)


(17日早朝・UFOライン・濃いガスで視界不良)


(17日早朝・昨夕の濃いガスで走行中止?・少し広がってる道端が今夜のネドコ・このような決断ができる 若者に感動!!)


(17日朝・視界不良のなか 「瓶ケ森」方向に走行)

<新しい時代を生きる「若人」・日本の明日は アカルイ!!>

(撮影:2018年9月18日 天狗高原・私は車中泊 朝 車外に出てみるとお隣さんは女性の旅人)


(撮影:2018年10月10日 天狗高原・学生の日本一周バイク旅)

人間の「命」は一度だけ・四国カルスト天狗高原・高知城と鏡川

$
0
0
***人間の「命」は一度だけ***
人間社会の発展は 争いによる「命」喪失の歴史であると思います
特に 国家権力を持つ「指導者」は 争いの「ニオイ」を好みます
ウクライナでの戦争も・・・ パレスチナでの戦争も・・・
これに 対抗するには 一般市民の「自由旅行」が 特効薬と思います
知らない土地を「自由」に歩くことは その地域の「生活文化」に直接触れることになり
他民族との交流や友情が ひとりでに 大きく育ちます 
争いの「ニオイ」は 「力」を失います

(近くて 遠い国からの旅行者です・自由旅行に感動し その中身の重さで ウトウト・・・です・関西空港)


(ラオス・バンビエン 夕暮れまで 思い出づくり)


(タイ・バンコクのスワンナブーム国際空港)


(スウェーデン・北極圏 アビスコ国立公園


(卒業旅行(=自由旅へのスタート)・羽田空港)

***四国カルスト 天狗高原(10月13日~15日)***
カルスト高原の「空気と風」を浴びると 何故か 身心がカルクなり 「ゲンキ」がでます
低級ヨロヨロ年金フリーターでも 明日への「夢」が膨らみます

(尾根筋から 谷底集落を眺める・ゲンキな若者が居るだろうかと・・・) 


(バイク女性・カルストを背景に 自撮り撮影・ウマク撮れてるかナ~)


(姫鶴平方面・放牧場やキャンプ場・人気の場所です)

 <13日・紅く燃える 落日>




※以上 13日撮影 快晴・14日は 一日中 ガスと霧雨


(14日・晩メシ・カレー=お湯を沸かし 温めるだけ・1950年前後育ちはこれでもサイコウ!!)


(15日 快晴・姫鶴平放牧場周辺を早朝サンポ)


(15日・朝メシ・ヨロヨロサンポ後の 朝食は 美味い!!)

***10月の 高知城(午前中の梅の段)と鏡川(午後2時半~4時)
 < 高 知 城 >


**ヤマガラ** 周辺に 興味を示す 目の輝きが オキニイリです




**シジュウガラ**



**鏡川・カワセミ** いつも 独りで 行動・孤高の戦士です









秋彩の「四国の屋根」・11月 鏡川の水鳥・友人の故郷「室戸」

$
0
0

私は 季節が生み出す「自然の彩」に魅かれます
田舎生まれ 田舎育ちで TVや自家用車等とは「無縁」の時代 
やわらかい自然の「空気」と温かい「家族」に囲まれた 1955年前後の少年でした
それ故か 人工の「街の彩」には あまり関心が 湧きません 
季節が変わるごとに 同じ場所を 歩くことが 私の「クセ」です 
それでも いつも 新鮮な「空気」を感じます
そして その時その場所で 目や心に沁みてきた「モノ」にレンズを向けています
美的センスや専門知識は「ゼロ」ですが・・・「写真撮影」が私の趣味です

***秋彩の「四国の屋根」(土小屋~シラザ峠~瓶ケ森~UFOライン)***10月27~29日

(27日・よさこい峠近くから「長沢谷筋」)


(数年目の同じ場所・満身創痍の「古木」が「長沢谷筋」を見守っていました・今は 生まれた急斜面に かえりました)


(27日・「土小屋」から「よさこい峠」間・自然が赤く燃える 秋の道)


(10月27日・よさこい峠から西へ数百メートル・「古木」は この秋もゲンキ)


(10月27日・落日の斜光に染まる「瓶ケ森」登り口付近)


(10月27日・「石鎚山」と「落日」)⇒「瓶ケ森」駐車場で夕食・車中泊)

**10月28日・早朝 濃いガスと霧雨**

(28日 瓶ケ森駐車場で朝メシ・いつも同じ トシヨリは これでも マンゾクです)


(28日午後・シラザ峠の「ブナ林」・数年ぶりに「ブナ」の秋彩に出会い感動・少し 時間がたつと 乾いた茶色となり カサカサと音を立て 山風に舞います)


(28日・晩メシ⇒瓶ケ森駐車場で車中泊)

**10月29日・秋彩に染まる四国の屋根「UFOライン」**(→旧寒風山トンネル入り口右折→いの→高知市内自宅着午後3時)

(29日・UFOライン)


(29日・UFOライン・野バラの実)


(29日・UFOライン 秋の赤い「マユミ」の実と二人のバイク乗り)


(29日・UFOライン山側・ファミリーハイキング)


(29日・UFOライン・自然の秋彩が 目やこころに やわらかく 沁みてきます)

***11月・鏡川の野鳥***この秋は 雨量が少なく川底が干上がり 水鳥の飛来が少ない
<シギ・11月1日>




<カワセミ・11月2日>




***友人の故郷「室戸」・ヨロヨロ歩き***11月3日
高知市内の中学・高校で同じクラスでした 
大学卒業後 アメリカに渡り 美容師となり修行・活躍
帰国後は 東京で開店 今は 少し体調を崩し 遠い故郷は「こころ」のなかです



(子供のころ よく遊んだ 街角)


(この石段を下り 室戸港へ)


(最奥が羽根岬・手前が吉良川町・故郷への往復 バスの窓より目にした風景・道の駅「キラメッセ室戸」より撮影)

高知県 西南の海と四万十川・高知城は「季節の変わり目」・旅の思い出「フエゴ島」

$
0
0
***高知県 西南の海と四万十川***12月1日~3日
私は 低級でヨタヨタ人生航路を歩んできたロージンですので 
仕方がないことですが・・・
若い時も 今でも 日々の生活で 「こころ」に 侵入してくる 
黒く重い「空気」には 極めてヨワイ!! 
人知れず「ナミダ」を流すことも多しです!! 
暖流「黒潮」が打ち砕ける「西南の海」で潮風や
清流「四万十川」の川風に 身心をさらすと・・・
「こころ」の内が 少し軽くなり 「ゲンキ」が再生です

<12月1日・土佐佐賀港・漁獲高日本一のカツオ船団の母港です>

(自宅から約2時間・最初の休憩 目の前は「太平洋」です)

12月1日・柏島~叶崎~竜串~大岐の浜~入野公園(夕食・車中泊)
上記区間の走行では 「カメラ」を手にすることは ナク 
ただただ 「潮風」を 全身に 浴びるのみでした

<12月1日・入野公園駐車場で「晩メシ」→道の駅「ビオスおおがた」
の駐車場で「車中泊」>

(夕食は いつも同じ・「年金ロージン」は これでマンゾクです)

<12月2日・入野公園>

(12月2日・道の駅「ビオスおおがた」の朝・太平洋の波を見つめる 青年)


(12月2日・朝メシ・入野公園駐車場)


(12月2日・入野松原の遊歩道)


(12月2日・入野の海・サーファー)

<12月2日・昼過ぎ 四万十川入田キャンプ場に移動→車中泊>

(12月2日・四万十市出身の一人が 数日掛けて「歩き帰郷」・同級生2人が集まり 歓迎の「お話し会」)

<12月3日 四万十川入田キャンプ場「日の出」→四万十川沈下橋へ>



(12月3日・四万十川「佐田沈下橋」・清流と山並み 大のお気に入りです)


(12月3日・佐田沈下橋・台湾からの観光客です・この田舎まで ありがとうございます)

<12月3日・「岩間沈下橋」→四万十町経由で高知市内自宅へ(午後4時 帰宅)>

(四万十川の「川風」と自然が濃い「山里」・少し長く 立ち止まっていました)

***高知城・おそ~い オソ~イ「季節の変わり目」***12月8~9日
天気の良い日の午前中は 高知城「梅の段」周辺のヨロヨロ徘徊です
西側登り口(=搦手門跡)から「梅の段」西側の雑林 そこからつづく 
北側の「イチョウ並木道」や石垣は 赤い 黄色い 「落ち葉」が舞い
高知城の おそ~い「季節の変わり目」とナリマシタ!!
ここ数日 「落ち葉の絨毯」を踏みしめて アチコチ歩きです


(西側 高知城登り口付近・12月8日 午前中 撮影)


(高知城天守閣・12月8日午前中 「梅の段」より撮影)


(「梅の段」西側小路は「落ち葉の絨毯」となっています・12月8日午前中 撮影 )


(北側 イチョウ並木遊歩道・台湾からの観光客です・12月8日午前中 撮影)
※ 台湾~高知・期間限定 航空便が週2便 就航中

<北側 石垣・8日午前中 撮影>





(北側遊歩道 イチョウ並木・12月9日 午前中 撮影)


(「ツグミ」・12月9日 「二の丸北側」で 午前中 撮影)

***旅の思い出・フエゴ島(アルゼンチン領)***
この島の海岸周辺には 「ヤーガン族」が 1万年以上 生活していました
夏でも 冷たい「ビーグル水道」を 年中 カヌーで移動し 海中に潜り 
男性はアシカ 女性は甲殻類を 狩猟採集する「海遊民」でした 
今では 「純粋ヤーガン族」は存在しません 白人の進出が大きな原因と思われます
<ビーグル水道(画像は「アルゼンチン領」)>








高知城冬景色・高知県 東部海岸線・旅の思い出 ベトナム 国境の山里

$
0
0
***高知城 冬景色***
2023年 残すところ3日と なりました
低級人生航路を歩んできた 年金ロージンは 気持ちだけは 前に向かっていると思っていますが この1年 ナニモ変化ナシです
ウクライナやパレスチナなど国際紛争は 終息の気配すら 感じられません
人の命が国家権力や地域社会の「力」で消滅することだけは 避けたいと思っていますが・・・人間社会の歴史は 闘い 殺し合い 弱者支配 です
この様な人間の「本姓」を 少しでも抑えることが出来るのは「普通教育」であると思います 
「真実・人権・歴史」を教えることです

ところで ここ数日の寒さで 高知城も ヤット 冬景色とナリマシタ!!

(12月19日・西登り口から イッキノボリ約15分・「梅の段」の このベンチで休憩ですが 今朝は「落ち葉」の座布団を北風さんが準備してくれていました)

 
(12月19日・ベンチに腰を下ろしている「息切れロージン」を 頭上で「ヤマガラ」クンが 心配しで 見守ってくれていました)


(「梅の段」からつづく「イチョウ並木」の遊歩道も 冬景色とナリマシタ)


(12月28日・初冬の西上り坂・「センダンの実」が朝陽で輝いています)


(12月28日・「イカル」高知城二の丸で撮影)


(12月28日・「カワラヒワ」高知城 二の丸で撮影)

***高知県東部海岸線・ヨロヨロ歩き(12月23~24日)***
ここ数日の寒さで トシヨリの足腰は重くなっていました
東部海岸地域(白浜・室戸岬周辺・唐浜)を 各別な目的もナク ヨロヨロと徘徊!!
これにより 背筋がノビ ゲンキ 回復でした 
(この地域は「暖流黒潮」に洗われているので 冬季でも 温暖で 霜も オリマセン)
また 帰途 初めて立ち寄った「唐浜休憩所」は 青い空と太平洋・ベンチやトイレなど
設備もサイコウ!!
休憩のための「車中泊」にはベストです!!


(高知市内自宅から 約2時間・「道の駅 田野駅屋」 お弁当や各種総菜が美味しいことで旅人に大人気です)


(23日13時前後・東洋町「白浜」 防波堤先端で 海を見つめる青年・話しかけてみると ボォ~と海を見るのが好きです・・・実に清々しい青年でした) 


(「白浜」・砂上の「水族館」???)


(23日15時前後・「室戸岬」)


(23日16時前後・「道の駅 キラメッセ室戸」ここの地域特産物売店「楽市」駐車所の防波堤より撮影・「羽根岬」方面)


(「楽市」駐車場防波堤より撮影・日暮れ近くまで ガンバッテいる「釣り人」)


(23日の「落日」・「楽市」より撮影)


(23日 夕食・道の駅「キラメッセ室戸」の「楽市」駐車場・道の駅での食事は「車内」が 暗黙の了解事項です)


(24日 朝食・電気ポットで お湯を沸かしています・朝メシは コーンクリーム コーヒー わかし=芋モチなど)

**唐浜 休憩所** 24日 昼前後



(駐車場は普通車6~7台・キャンピングカーは侵入困難)




(清潔な男性用トイレ)


(青い空と海・近くの防波堤で釣りもできます)


(24日・昼メシ・太平洋の潮風に つつまれて 持参の腰掛で)

***旅の思い出・ベトナム 「ドンバン」の山里(2018年12月)***
ドンバンから「バイクタクシー」で 山並みを 約2時間走ると 中国との国境です
地域少数民族の伝統文化が 今でも 色濃く 残っている この山里ですが・・・
電気・TV・自家用バイク等の時代に入り 近代化の「嵐」が吹き荒れています
急激な「近代生活」の波に 押し流されないことを 祈っています 








 




高知城・高知市種崎「千松公園キャンプ場」・旅の思い出「ガイランゲルフィヨルド」

$
0
0
 ***2024年がスタートしました***

(2024年1月1日・「初日の出」・高知県 横波スカイライン)

能登半島を中心とする「大地震」と「羽田航空機事故」・・・ 2024年のスタートでした
私たちの国土は 「環太平洋火山帯」上にあり「自然災害多発」地帯です
その備えは 十分だったのでしょうか???
羽田空港は 世界有数の 超過密空港です
空港管制業務は「人員不足」であったとのことです
海保機の装備は 極めて不十分であった様です
羽田空港への「航空路」は 米軍航空路を避けての無理な飛行コースであるようです
パイロット個人の責任とせず 国を挙げての「空の安全」に取り組む必要があるように思います
また 数日前のローカル新聞で「大学入学試験」の記事を目にしましたが・・・私が思うことは
日本の大学入学平均年齢18.3歳です(ドイツ:22.0・フランス:20.8) 
高校卒業後 数年かけて 様々な体験をし その上で 進学先を「自分で考え」「自分で決断」する「社会」になることを 希望しています

*** 冬の「高 知 城」 ***
高知の海岸線は 「太平洋」です  暖流黒潮に洗われています 
「四国山地」から吹き降ろす 冬の「北風」は冷たいが 晴れた日は ポカポカ陽気となります
高知城では「梅花」が咲きはじめました 寒さを忘れます

(高知城・撮影:1月8日 午前中)


(南方向・山並みの向こうは 「太平洋」・撮影:1月8日 午前中)


(雲竜梅・撮影:1月14日 午前中)


(撮影:1月18日 午前中)


(撮影:1月18日 午前中)


(「ウソ」・撮影:1月11日 午前中・高知城)

***高知市 種崎「千松公園キャンプ場」***1月13日
種崎「千松公園キャンプ場」は 松林(江戸時代の防潮林)の中にあり 「水場」「トイレ」「駐車場」が完備した 無料の 安心安全キャンプ場です
冬場(13日)でも  小さな子供がいる 家族数組が キャンプを楽しんでいました
また 「県外」からの旅行者にとっては 「浦戸大橋」を渡ると 約10分で「桂浜」です





(キャンプ場 「水場」)



(無料駐車場)


(浦戸大橋・この橋を渡ると「桂浜」・巨大な「坂本龍馬像」も大人気)

***旅の思い出・ノルウェー「ガイランゲルフィヨルド」***
氷河の浸食により 生じた「U字谷」に 海水が侵入した「フィヨルド」は アジアの太平洋側には存在しない 風光明媚海岸地形です
ここでは 北の苛酷な自然環境で 生きてきた「民族」の「汗と涙」を感じることもできました

<ノルウェー・オンダルスネス> 
ここで一泊し 翌日バスで 「ガイランゲルフィヨルド」行きでした
やわらかい 幸せそうな 空気が ながれる 北の街でした




<ノルウェー・ガイランゲルフィヨルド>



(赤の囲い=農家・両親が農作業に出る際は 幼児は ヒモで柱と繋いでいたようです)


(「山羊チーズ」・この地域の名産です 家畜は 急斜面にツヨイ「山羊」のみで 飼育は 少女の仕事であったようです)

国際平和???・高知県「秋葉まつり」・旅の思い出 タイのバンコク

$
0
0
  *** 国際平和??? ***
国際紛争は 何時になったら 減少へ向かうのでしょうか??? 
戦争による「犠牲」の多くは 一般市民です!!
人間の本性は 「闘い」と「支配」であると思いますが・・・
これらを抑止する最善の道は「人権」と「国民主権主義」の教育にあると思います  時間がかかります
爆弾による人殺しと生活環境破壊では「国際平和」は実現しないと思います

***高知県・秋葉まつり***2月11日・見物
「秋葉まつり」は 四国山地の奥深い「山里」で 古くから続いている 「お祭り」です
現行の「お祭り」は 1794年から 「秋葉神社」が中心となっていますので 200有余年の歴史を持っています
仁淀川上流の「本村・霧乃窪・沢渡」の3集落共同で開催運営されています
(上記3集落は 過疎高齢化地域で「小学・中学」は存在しません 将来の開催が少し心配です)
私は 地域の「歴史文化」と里人の「汗」が沁み込んだ 「秋葉まつり」は 大のお気に入りです


(仁淀川上流・この橋を渡り 狭くて急な山道走行→「秋葉神社)」


(地域の名家「大石家」前の狭い山道での演舞・「鳥毛ひねり」=長さ7メートルの「毛やり」を若者が投げ 受けとる)


(大石家・紅いハチマキの「油売り」・演舞場に真っ先に登場し 滑稽な仕草で 祭りを盛り上げます また 「四手飾り」=防火のお守り の売り手でもあります)

<秋葉神社 演舞場>

(「鼻高」は祭りの総采配役・演舞の先頭に立つ)


(神様が乗ってい「神輿」・「鼻高」が先頭で誘導)


(秋葉神社本殿入室を数回繰り返し ヤット入室となります・祭り最大の見せ場)


(「鳥毛ひねり」・「毛やり」投げ役・地域出身・火事装束の若者)


(「鳥毛ひねり」・『毛やり」受け取り役)


(火事装束の稚児演舞)


***旅の思い出・タイのバンコク***
私は 「空港乗り継ぎ」旅が大好きです 
空港内での乗り継ぎ「待ち時間」は 出来る限り 長く取ることにしていました
コンコース内のコーヒー店で コーヒーを手に 行き交う「旅人」の後姿で その方の人生を その方の背負った文化を 勝手に想像していました・・・
一時期 フィンランド・スウェーデン・ノルウェーの街角の人々や北極圏の空気が お気に入りとなり旅を 繰り返していました
「タイ国際航空」で関西空港午前中発⇒バンコク空港午後4時前後着(乗り継ぎ時間5~6時間・空港内や空港近くの街を ヨロヨロ サンポ)⇒オスロやストックホルムへ 0時前後出発⇒早朝着(旅の1日目は時間的余裕をもってスタートです)

(関西空港・タイ航空で出発)


(ベトナム海岸線通過)


(バンコク・スワンナプーム国際空港着陸態勢)


(バンコク・スワンナプーム国際空港 出発フロアー中央口)


(出国手続き案内板)


(各種の案内・上から  「入国・荷物受け取り」・「出発フロアー」・「国際線乗り継ぎ」・「国内線乗り継ぎ」)

<空港内・自由フロアー・仏教国のやわらかい空気がアフレテイマス>




遠くに行きたい・日本最後の清流「四万十川」・感動の出会い

$
0
0
***遠くに行きたい***
私の青春は1955年前後です 高知の片田舎で 生まれ 育ちました 
小学・中学時代は 一般家庭には「TV」はアリマセン 一家に一台の自転車の時代でした
人生の原点は 自然のなか 緑の空気 家族の温もり です
社会人となったのは 1966年=昭和41年  その頃から 日本社会は「経済」を中心に 豊かな時代へと突進ですが・・・
80歳 の「低級年金ロージン」となった私 今でも若いころからの「見果てぬ夢」を 爆走です
知らない遠くの土地に行きたい!!  
そこで 土地人に沁みついた「空気」や「風」に あいたい!!

***日本最後の清流「四万十川」逍遥(3月9~10日)***
<四万十川入田河川敷の「菜の花群落」ヨロヨロ歩き(9日午後)>
広大な河川敷に 自然が生み出した「春の花群落」!!
背筋がノビマス ツカレマセン 齢をワスレマス
(私は 公園の計画で生まれた「花園」には 足が向きません)


(白浜海岸からつづく荒磯の海岸・自宅から西へ 車で約2時間 遠くに向かっていると・・・「こころ」が踊ります)


(四万十市・四万十川の「赤鉄橋」・地域社会の「歴史」が沁み込んでいます・撮影:9日午後)

<四万十川 入田の河川敷 菜の花群落>撮影:9日午後




<10日早朝・四万十川 入田の無料キャンプ場で車中泊・冷え込みが厳しく 寒くて 目が覚めました>



(大型バイク乗りの「旅人」・左=ライダーのネドコ 右=バイクのネドコ)

<私の お気に入り 四万十川「沈下橋」・撮影:10日午後>
「沈下橋」は台風等による増水時は 川に沈みます 欄干はアリマセン
「沈下橋」の多くは 昭和30年代から40年代に建設されました 
地域住民の生活は 手漕ぎの小さな船からの解放です また 子供たちの通学も安心安全とナリマシタ
※(「沈下橋」は 今のクルマ社会では 橋の幅が狭く ガードレールも無く 過疎高齢地域でもあるので 極めて危険です)


(高瀬沈下橋・建設:昭和48年=1973年・全長:232.8メートル・幅員:3.4メートル)


(岩間沈下橋・建設:昭和41年・全長:120.0メートル・幅員:3.5メートル)


(長生沈下橋・建設:昭和35年・全長:120.0メートル・幅員:3.2メートル・夏休みは 水泳やキャンプで大人気)

***感動の出会い***
その「場所」で  そこに流れる「風」のなかで  明日に向かう「若者」のエネルギーを感じた ・・・
私の お気に入り写真です

(アラスカ・デナリ国立公園 最奥の「ワンダーレイク」)


(南米・ビーグル水道のアルゼンチン領岩場・シャッターより 水鳥のファミリーに夢中の女性)


(スウェーデン・ストックホルムのメーラレン湖に面した市庁舎広場)


(四国カルスト・天狗高原)

高知城の春・西の空と東の空

$
0
0

***4月・高知城の春***
天気の良い日の午前中は  50CCバイクで 「高知城」です
今月に入り 手袋や厚手の防寒着は 身に着けていません
サクラは満開となり 背筋はノビ 足取りはカルイ!!
最近 お城では 外国人観光客が多くなっています
高知へは大型国際観光船(乗客2000人前後)の入港は 週2~3回  台湾からの観光航空便は週2便です
「国際観光」は 国際理解がすすみ 国際平和の道に ツナガリマ~ス!!
(以下の写真は4月1~2日 高知城で撮影)

(高知城・やわらかく やさしい「サクラの花」・「平和の花」の様に思います)

<高知でも外国人観光客を多く見かけます・平和の国 安全安心の街々であることが海外でも評判ですネ!!>





(台湾からの観光客)


(サクラの花に魅かれたのか 熱心に撮影)

***西の空と東の空***
 < 西 の 空 >
太陽が西の空に落ちてゆく前後の 赤く燃える輝きにカメラを
向けるようになったのは 主に「年金フリーター」となってからです
昼間の終わり 日没前後の この輝きは 「無常」です 
日々の生活の「こころ」の内と同じように想います
若き頃に 見えなかったモノが 低級ロージンとなった今では 良く見えるようになりました
それは 「こころ」の内の「微笑みや悲しみ」です

(ラオス・バンビエンのナムソン川・炎天下での農作業を終え 川で手足を洗い 子供たちの待つ 自宅へ)


(ミャンマー・バガンの仏塔群・日が傾くと 少し涼しくなり カメラを肩にヨロヨロと徘徊でした)


(ノルウエー・「オスロ港」冬の夕暮れ・海面には氷が漂っていましたが 行き交う市民からは 温かさが・・・ )  

 <高知から「西の空」>
私の子供のころは TVや自家用車とは無縁の生活 すべて自然の中でした
学校から家に帰ると 近所の仲間と神社の広場で 日暮れ近くまで遊んでいました
近くの農家の煙突に「ケムリ」が上がると 小走りで帰宅でした
これが 我が家の約束でした!!


(夕暮れ迫る 神の山「石鎚山」)


(石鎚山からの斜光で 光る「霧氷」)

 < 東 の 空 ・ 日 の 出 >

(フィンランド・ヘルシンキ港の「日の出」)


(ミャンマー・ヤンゴン 朝陽で輝く「シュエタゴン パコダ」)


(タイ・バンコクスワンナプーム空港・早朝の乗り継ぎ便)

<高知の「東の空」>
昭和25年後半(小学生)・日曜日の朝は目覚めが早い 障子を開けて東の空を見る 「お日様」の確認でした
屋外で 自然のなかで 遊べるので!!


(横波スカイライン・太平洋の「日の出」)


(長沢谷筋の「日の出」・谷底の夜明けは遅く・里人は老人ばかり・これも時代の流れです)


(四国カルスト 天狗高原の「日の出」)




Latest Images